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失敗は、挑戦した証。目標のための失敗は怖くない|車いすバスケットボール・秋田啓 選手×パラスノーボード・小須田潤太 選手

失敗は、挑戦した証。目標のための失敗は怖くない|車いすバスケットボール・秋田啓 選手×パラスノーボード・小須田潤太 選手

「挑戦する人を応援する」を掲げているオープンハウスグループは、夢に向かって努力し続けるアスリートを社員として雇用し、日々の活動をサポートしています。パラスノーボード競技の小須田潤太選手もその一人で、2025年の世界選手権では金メダル獲得という輝かしい成績を収めました。

今回はそんな小須田選手と、車いすバスケットボールの日本代表として東京パラリンピックで銀メダルを獲得した秋田啓選手の対談を実施。秋田選手はあいおいニッセイ同和損保に所属し、現在はドイツのプロバスケットボールリーグ・ブンデスリーガに参戦するなど、さまざまな挑戦を続けています。両選手に数々の挑戦を支えるモチベーションや、困難を乗り越えるやる気の源泉、今後の目標などについて幅広く語っていただきました。

(2025年6月に取材)

  • 秋田啓

    1990年、岐阜県生まれ。2017年あいおいニッセイ同和損保入社。18歳の時のバイク事故により車いす生活となり、20歳から地元・岐阜SHINE(シャイン)で車いすバスケットボール選手としてのキャリアをスタート。2021年の東京パラリンピックでは、日本代表メンバーとして銀メダル獲得の快挙を成し遂げた。現在はドイツ・ブンデスリーガで活躍中。

    1990年、岐阜県生まれ。2017年あいおいニッセイ同和損保入社。18歳の時のバイク事故により車いす生活となり、20歳から地元・岐阜SHINE(シャイン)で車いすバスケットボール選手としてのキャリアをスタート。2021年の東京パラリンピックでは、日本代表メンバーとして銀メダル獲得の快挙を成し遂げた。現在はドイツ・ブンデスリーガで活躍中。

  • 小須田潤太

    1990年、埼玉県生まれ。2016年オープンハウスグループ入社。2012年(21歳時)に交通事故で右大腿部を切断。2015年にパラ陸上を始め、2017年からパラスノーボードにも挑戦。東京2020パラリンピック・北京2022冬季パラリンピック出場。現在、ミラノ・コルティナ2026冬季パラリンピックでの金メダル獲得に向け、日々トレーニングに励んでいる。

    1990年、埼玉県生まれ。2016年オープンハウスグループ入社。2012年(21歳時)に交通事故で右大腿部を切断。2015年にパラ陸上を始め、2017年からパラスノーボードにも挑戦。東京2020パラリンピック・北京2022冬季パラリンピック出場。現在、ミラノ・コルティナ2026冬季パラリンピックでの金メダル獲得に向け、日々トレーニングに励んでいる。

代表になった今でも「難しい」と思う。だからこそ、成長の余地があって楽しい

―まずは秋田選手が車いすバスケットボールに出会った経緯について教えてください。

秋田:18歳の時、事故で車いす生活になり、自分に何ができるかわからない状態の中、定期的に体を動かせたらと思い、パラスポーツに興味を持ちました。当時、パラスポーツとして知っていたのはテニスと陸上、バスケのみ。チームスポーツが好きだったことからバスケを選択し、地元の岐阜県で活動する岐阜SHINE(シャイン)に所属しました。

小須田:僕はイベントで車いすバスケを体感したことがありますが、とても難しい競技ですよね。車いすの操作だけでも難しいのに、ボールをコントロールしたり、相手の動きを見て判断したり、同時にこなさなければならないことがとても多くて。一度、リハビリ病院でバスケ経験者の方が車いすをこぐ姿を見たことがあって、その速さにも驚きました。僕には車いすを使った競技は無理だなと思いましたね(笑)。

秋田:僕も今でも「車いすバスケって難しいな」と思う瞬間がたくさんありますよ。でも、だからこそやりがいがあるし、「自分はまだ成長できる」「うまくなりたい」という思いが湧いてくるのかもしれません。成長するのは楽しいし、楽しくないと継続できませんから。

小須田:その気持ちわかります。僕も根っこにあるのは楽しむ気持ち。義足になってから初めて走ったときは本当に楽しくて、そこから競技にのめり込んでいきました。今はスノーボードに出会えてより楽しさを感じています。

―お二人とも企業に所属するアスリートとして、競技を続ける上でどんな環境づくりをしてきましたか?

秋田:あいおいニッセイ同和損保では、デュアルキャリア(仕事と競技の両立)を前提としているため、会社と相談しながら都度判断するという形でやってきました。直接そう言われたわけではありませんが、東京パラリンピックで銀メダルという結果を出せたことで、会社としても競技に集中させる理由付けがしやすくなったのではと思います。今はドイツのブンデスリーガに挑戦しており、ありがたいことに競技に専念させてもらっています。

小須田:企業からのサポートは本当にありがたいですよね。僕も最初はフルタイム勤務で、平日の夜や土日に練習を続けていましたが、競技を続けてレベルが上がる中で、練習環境について会社に相談するようになりました。そこから、東京パラリンピックの2年前には希望していた大阪支社への異動が実現し、平日日中も練習できるようになったんです。今は拠点を移しながら、スノーボードに集中して取り組める環境を整えてもらっていますね。

「失敗は挑戦の証」―目標までの過程にある失敗は、自分の厚みになる

―お二人はパラリンピックでも活躍されていますが、いつ頃から日本代表選手になって世界に挑戦することを意識し始めたのでしょうか。

小須田:陸上を始めたきっかけがパラリンピックで何度もメダルを獲得している山本篤さんだったので、当初から意識していましたね。パラスポーツの世界って本当に身近なところに代表選手がゴロゴロいて、パラリンピックを目指すのが当たり前のように感じる環境だったと思います。

秋田:僕は競技を始めて4〜5年くらいのころでしょうか。U23日本代表の代表合宿に参加したことがきっかけで意識し始めました。確かに、普段から一緒に練習する相手の中に日本代表選手がいて、意識する機会が多いかもしれません。これってパラスポーツならではの環境ですよね。でも、身近だからと言って誰でも簡単に日本代表になれるわけではないし、やはり代表選手は特別な存在だと感じます。

小須田:車いすバスケの場合、日本代表に選ばれるにはチームに入るのはもちろんのこと、ポジションやポイントのルール(※)もあって、制約が多いイメージです。そのなかで代表になるのはとても熾烈な戦いですよね。
※障がいレベルでポイントが定められており、コート上の選手の合計が14点を超えてはならない

秋田:僕からすると、スノーボードのように自分の実力で代表の座を掴み取る個人競技もまた違った難しさがあるように感じますよ。チームスポーツの場合、自身のポテンシャルがそこまで高くなくても、味方を活かしたり、メンバーとの連携だったり、記録に出ない部分が評価につながることもあります。実力が突出していなくても自分の強みを打ち出していけば日本代表になれるチャンスがあるのが、チームスポーツの面白いところかもしれません。

―秋田選手は海外リーグへ、小須田選手は競技を陸上からスノーボードに専念するなど、現状に満足せず、絶えず挑戦を続けているように思います。新しい挑戦をするとき、失敗は怖くないですか?

小須田:考え方が極端かもしれないですが、死んでもおかしくないような事故を起こして右足を失った経験から、たいていの失敗は怖くなくなりました。「失敗しても死ぬわけじゃないし」という気持ちがどこかにあるんですよ。障がいによってできることが狭まった分、失敗することも多いですが、「失敗することが当たり前なんだ」と思えるようになったことも大きいように思います。

秋田:僕はどちらかと言うと挑戦する際に足踏みしてしまうタイプですが、よく言われる「やればできる」という言葉が意外と原動力になっていて。障がい者になっても、自分に合った方法を考えればできることはたくさんあるんですよね。僕が車いすを使うことでスポーツにも挑戦できたように、手段を変えることで新しい可能性が広がる。でも、一歩踏み出さなければ、できるはずのこともできないですよね。それにバスケ自体もプレーの中で失敗がたくさん起こるスポーツなので、失敗にとらわれる必要はないとも感じます。

小須田:失敗って挑戦の証ですよね。こうした経験が、生きていく上での自分の厚みになってくると思います。僕も毎年どこかしらケガをしていて(笑)、骨折も経験していますが、パラリンピックで金メダル獲得という目標に向かっている最中なので、いちいち一喜一憂はしません。それ以上に目標へ挑戦したことに価値がありますから。

秋田:むしろやりたいことに挑戦しないことのほうが失敗と言えますよね。僕は今まで達成したいことを諦めた経験がないから、そういった意味では失敗はないと言えるかもしれません。

小須田:極論、自分が「失敗」と思わなければ、それは失敗じゃないですよね。

―「失敗」が怖くて一歩を踏み出せない人も多いと思います。どうすれば挑戦する勇気を持てるのでしょうか?

秋田:経験者に話を聞くのがいいと思います。僕も海外リーグへ挑戦する時、たくさんの方に話を聞いて不安を払拭しました。あとは先ほど小須田選手が言った「目標を明確に持つこと」が重要じゃないでしょうか。英語がほとんど話せない中で海外リーグへ挑戦することはハードルが高かったですけど、日本代表選手として活躍するという目標から逆算すると「海外での経験が必要」と思ったので一歩踏み出せました。

小須田:人生の中でどこにチャンスが転がっているかわからないので、怖がらず挑戦してみてほしいです。やっぱり挑戦し続けたほうが人生は面白くなると思うんです。僕も以前は何かに挑戦するタイプの人間ではなかったのですが、今はどんどん道が拓けてすごく楽しいです。効率性重視で無難な道を選ぶより壁にぶつかりながらも挑戦したほうが、その分人生が豊かになるような感じがしますね。

応援とは、期待。「もっとできる」と期待される選手であり続けたい

―今後の展望を教えていただけますか。

秋田:2026年の世界選手権出場に向けて、予選を勝ち抜くことが第一の目標です。今、日本は世界選手権やパラリンピックなど、世界の舞台から少し遠のいているんです。東京2020パラリンピックで銀メダルを獲得した国としてもう一度返り咲きたいので、まずはアジアでしっかり結果を残したいですね。
個人としての展望は、次シーズン以降も海外リーグで挑戦を続けていくことです。海外での経験は確実に自分の力になっていると感じているので、さらなる成長を目指したいです。

小須田:2026年に開催されるミラノパラリンピックで、2種目での金メダル獲得を目標にしています。その目標に向けて、今はとにかく雪を求めてフランスやアメリカ、南米など世界各地をまわっています。今の環境や支援に感謝しながら、結果につなげていきたいです。

―最後にパラスポーツを通じてどんなことを伝えたいか教えてください。

秋田:まずは車いすバスケをもっと多くの人に知ってほしいですね。やはり知ってもらえないと応援もしてもらえないと思うので。応援されるということは期待値があるということなので、これからも期待されるような選手でありたいと思います。

小須田:僕がパラアスリートの山本篤選手の姿を見て、自分の道が拓けたように、僕が挑戦する姿がたくさんの人に良い影響を与えられたら嬉しいです。「頑張って」の言葉もうれしいですが、「お前ならもっとできる」と言われるのもまた違った角度での応援メッセージですよね。たくさんの方からの応援を胸にこれからも突き進んでいきたいと思います!

誰かの「かなえたい」を応援したい。

がんばる皆さんの想いに寄り添うサポート活動、
それがO-EN HOUSE PROJECTです。