オープンハウスグループが企業姿勢として掲げる「挑戦する人を応援する」は、社員のモチベーション向上と組織への帰属意識の醸成を目指し、日々の活動にも深く根付いています。今回は、オープンハウスグループに所属し、2025年3月にパラスノーボード世界選手権で日本人選手として初優勝を果たした小須田潤太選手と、アシックス所属のプロ車いすバスケットボールプレーヤーであり、東京2020パラリンピックで大会史上初の銀メダル獲得と大会MVPを受賞した鳥海連志選手を迎え、「世界を見据え挑み続けるアスリートに学ぶ 未来を切り拓くマインドセットと行動とは」と題したセミナーを開催しました。
二人のトップアスリートが語る、逆境を力に変えた経験とそこから得た「挑戦の力」、そして「未来を切り拓くマインドセット」とは何でしょうか。本記事では、会場に集まった内定者の皆さんも真剣に耳を傾けた、貴重なトークセッションの模様を詳細にレポートします。
(2025年9月に開催)
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小須田 潤太
1990年、埼玉県生まれ。2016年オープンハウスグループ入社。2012年(21歳時)に交通事故で右大腿部を切断。2015年にパラ陸上を始め、2017年からパラスノーボードに挑戦。東京2020パラリンピック北京2022冬季パラリンピック出場。2025年3月にカナダで行われたパラスノーボードの世界選手権で、日本人選手としては初の優勝。この健闘を称えられ、2025年8月に文部科学大臣より「スポーツ功労者」として顕彰。現在、ミラノ・コルティナ2026冬季パラリンピックへの出場が内定し、メダル獲得に向け日々トレーニングに励んでいる。
1990年、埼玉県生まれ。2016年オープンハウスグループ入社。2012年(21歳時)に交通事故で右大腿部を切断。2015年にパラ陸上を始め、2017年からパラスノーボードに挑戦。東京2020パラリンピック北京2022冬季パラリンピック出場。2025年3月にカナダで行われたパラスノーボードの世界選手権で、日本人選手としては初の優勝。この健闘を称えられ、2025年8月に文部科学大臣より「スポーツ功労者」として顕彰。現在、ミラノ・コルティナ2026冬季パラリンピックへの出場が内定し、メダル獲得に向け日々トレーニングに励んでいる。
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鳥海 連志
アシックス所属のプロ車いすバスケットボールプレーヤー。生まれつき両手足に障がいがあり、脛(けい)骨が欠損していた両下肢を3歳で切断。2015年、日本代表として三菱電機2015IWBFアジアオセアニアチャンピオンシップに出場。その後、チーム最年少の17歳でリオ2016パラリンピックに出場。東京2020パラリンピックでは、大会史上初の銀メダルを獲得し、大会MVPも受賞した。翌年、IWBF男子U23世界選手権では金メダルを獲得。2028年ロサンゼルスパラリンピックに向けて2025年11月からスペインリーグへ挑戦する。
アシックス所属のプロ車いすバスケットボールプレーヤー。生まれつき両手足に障がいがあり、脛(けい)骨が欠損していた両下肢を3歳で切断。2015年、日本代表として三菱電機2015IWBFアジアオセアニアチャンピオンシップに出場。その後、チーム最年少の17歳でリオ2016パラリンピックに出場。東京2020パラリンピックでは、大会史上初の銀メダルを獲得し、大会MVPも受賞した。翌年、IWBF男子U23世界選手権では金メダルを獲得。2028年ロサンゼルスパラリンピックに向けて2025年11月からスペインリーグへ挑戦する。
「私と世界の出会い」意識を引き上げてくれた世界のトッププレイヤーたち
―今日のメインテーマ「私と世界の出会い」に入る前に、競技に出会うきっかけについてお話を伺いします。
小須田選手:私は21歳の時、居眠り運転による交通事故で右足を切断しました。車が横転した車中で足がない状況を鮮明に覚えている中、当時の頭の中には、勤務中だったこともあり「お客さんの荷物をどうしよう」ということしかありませんでした。
義足での生活が始まってすぐ、初めて義足で走る人を対象にしたランニングクリニックに参加したことが、私の競技人生の始まりです。そこで、パラリンピックメダリストである山本篤選手と出会い、陸上競技にのめり込んでいきました。健常な足があった頃は走ることが大嫌いだったのですが、一度できなくなったことが再びできるようになる喜びは計り知れませんでした。山本選手がパラスノーボードにも挑戦していることをニュースで知り、「これなら自分も勝てるかもしれない」と直感し、すぐにスノーボードも始めました。スポーツとの出会い、特に本気で取り組むことで、自分のマインドは大きく変わり、周りにも良い影響を与えられていると感じています。
鳥海選手:私は生まれつき膝下から足にかけての骨に変形があり、3歳の時に切断という選択をしました。物心ついた時にはもう足はありませんでした。中学1年生の時、ソフトテニス部に所属していたのですが、隣の体育館にいた女子バスケットボール部の監督さんが私の姿を見て「バスケやれよ」と声をかけてくれたのがきっかけです。その監督は車いすバスケットボールの審判をされていた方で、「お前のポテンシャルならやれる」と言われ、元々バスケ好きだった私はすぐに転向を決めました。

―お二人とも、人との出会いが人生を大きく変えるきっかけになったのですね。
ではいよいよ「私と世界の出会い」についてお聞きします。いつ頃から世界を意識し始めたのですか?
鳥海選手:競技を始めて1年ほど経った頃、U-23の合宿に参加したのですが、私以外の2人の選手だけが遠征の選考会に呼ばれたんです。私だけ声がかからず、どういうことだと思いました。その悔しさが原動力となり、「誰よりも練習する」と心に決めました。
それからYouTubeでパラリンピックの映像を繰り返し見て、「絶対にパラリンピックのファイナルコートに立つ」という明確な目標ができました。それ以来、選考会で落ちたことは一度もありません。世界を意識するようになってからは、目標がクラブチームの先輩から世界のトッププレイヤーへとシフトし、自分のマインドが大きく変わりました。
小須田選手:私の場合、鳥海選手のようにジュニア時代から世界を意識していたわけではありません。パラスノーボードを始めたのが2017年と遅く、挑戦すると決めたからにはトップを目指していましたが、初めて出場したワールドカップで世界の壁の高さを痛感しました。そこで「この選手たちに勝たなければ、世界一にはなれない」と強く感じたのが、本格的に世界を意識し始めた瞬間です。

「妥協なき挑戦」が繋ぐ、業界を越えたパートナーシップ
―本イベントは、オープンハウスグループとアシックスという、業界は違えど「挑戦」を共通項とする両社の思いが重なって実現しました。お二人の存在が、不動産とスポーツという全く異なる業界の企業を繋ぐ架け橋になっているのですね。
小須田選手:まさにその通りで、僕らの存在があることで、こうして異なる形態の会社が繋がり、一つの場で発信できることは本当に素晴らしいことです。オープンハウスグループという会社に入社していなければ、間違いなく今の自分の成長はなかったでしょう 。ミラノ・コルティナパラリンピックでの金メダル獲得という目標に向け、ひたすら目の前のことに全力で取り組む。本気で目指すものを応援してくれるこの環境は、非常にありがたい存在です。
鳥海選手:僕は、常に「挑戦」という言葉を口に出すようにしています。その挑戦が、自分一人のものではなく、家族や応援してくれる人たち、そして所属企業をも巻き込む大きな力になることを実感しているからです。来たるロサンゼルスパラリンピックを見据えたスペインリーグへの挑戦も、そうした環境全体を整え、最高のパフォーマンスを発揮するための準備の一環です。

逆境を「原動力」に変えるマインドセット
―お二人のお話の原点に、少し戻らせていただきたいと思います。第一部で、小須田選手は交通事故という大きなご経験を、鳥海選手は生まれながらの障がいと共に歩んでこられたお話を伺いました。多くの方が「困難」だと感じるであろう出来事を、お二人はどのように乗り越え、今のような未来を切り拓くエネルギーに変えてこられたのでしょうか。そのマインドセットの核心について、ぜひお聞かせください。
小須田選手: 例えば、私が右足を失ったという出来事だけを見れば、多くの人が落ち込む「マイナスの要素」だと思います。しかし、その足と引き換えに、本当にたくさんの人に出会い、こうして皆さんの前で話す機会も得ることができました。物事の一点だけを見るのではなく、見る角度を変えたり、人生全体という広い視野で俯瞰したりすることで、足がないという事実でさえ、自分の中では簡単にプラスの要素に転換できるのです。困難な出来事は世の中にたくさんありますが、それを大きな目で捉えることが重要だと考えています。
―ありがとうございます。ひとつの出来事も、視点を変えれば意味合いが変わってくる、ということですね。鳥海選手はいかがですか?
鳥海選手: まさに小須田選手がおっしゃる通りで、物事そのものは、その瞬間はネガティブかもしれません。しかし、それを未来においてポジティブな出来事に「変える」ことはできる、と僕も思います。私が13歳で代表選考から落とされた時は最悪な出来事でしたが、その悔しさがあったからこそ、「誰よりも練習する」という強いマインドにシフトできた。今となっては、あの時の落選が自分を成長させてくれた、と心から思えます。その瞬間は辛くても、「この経験を絶対にプラスに変えてやる」というマインドセットが、未来を切り拓く上で大切なのではないでしょうか。

挑戦し続けるための習慣と、モチベーションの波との向き合い方
―目標達成に向けた日々の習慣について質問が上がりました。仕事と競技の両立を目指す上で、核となる習慣はありますか?
小須田選手:私の場合、海外遠征などで常に環境が目まぐるしく変わるため、あえて特定のルーティンは作らないようにしています。物理的にできないことも多い中で、その場その場の環境にすぐ適応していくこと。それ自体が、私の習慣になっているのかもしれません。
鳥海選手:私は「低いハードルを設ける」ことを大切にしています。完璧な目標を立ててしまうと、できなかった時に落ち込む可能性があります。そうではなく、例えば「会社で誰よりも先に挨拶をする」といった、必ず達成できることを目標にする 。その小さな成功体験の積み重ねが、自信となり、やがて大きな目標へと繋がっていくのだと考えています。
―目標に対するモチベーションに波がある時は、どう乗り越えていますか?
鳥海選手:正直、僕もモチベーションに波はあります。練習に行きたくない日もあります。そんな時は、「今日はやる気がない」という気持ちのまま1年を過ごした未来の自分を想像するんです。そうすると、何もしないことの方が怖くなる。やる気が出ない時こそ、自分の目標を再確認し、長期的な視点を持つようにしています。
小須田選手:鳥海選手の話に尽きますね。日々のコンディションのブレは誰にでもある。結局は、どれだけその目標に対して本気か、という差なのだと思います。

アスリートのもがく姿が、挑戦の一歩を踏み出す勇気に繋がるかもしれない
―最後に、これから社会という新たなステージに挑戦する未来の仲間たちへ、メッセージをお願いします。
小須田選手: これから皆さんが社会に出ると、楽しいことばかりではなく、困難な壁にぶつかることもたくさんあると思います。そんな時、私たちの話を少しでも思い出して、「あのアスリートたちも、もがきながら前に進んでいたな」と、皆さんの挑戦の一歩を踏み出す勇気に繋がれば嬉しいです。
私自身の目標は、2026年のミラノ・コルティナパラリンピックで金メダルを2つ取ることです 。残りの期間、スポーツも仕事も同様に、日々目の前のことに全力でひたすら積み上げていくことしかやることはないと思っています。
鳥海選手: 皆さんのように、身近に目標となる先輩や仲間がいる環境は、本当に素晴らしい財産です。僕がそうであったように、人の真似をすることから成長は始まります。ぜひ、会社の先輩や同僚から多くのことを学び、吸収し、皆で一緒に成長していってください。
そして、僕も2028年のロサンゼルスパラリンピックに向けてトレーニングを続けていますし、2025年11月には世界選手権のアジア・オセアニアゾーン予選会に挑みます。僕たちの競技も応援していただけると嬉しいです。身近にいるアスリートの先輩たちからエネルギーをもらいながら、みんなで一緒に頑張っていけたらと思います。
―小須田選手、鳥海選手、心に響くお話を本当にありがとうございました。「やれるかやれないか」ではなく「どうやるか」を追求し続けるお二人の姿は、ここにいる全員の胸に深く刻まれたことと思います。人との出会いが人生を大きく変えるように、今日のこの場が、皆さんの未来を切り拓く力となることを心から願っています。
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