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「よそ者」だからこそ、地元との「共創」を。水上温泉街の廃墟再生プロジェクト

「よそ者」だからこそ、地元との「共創」を。水上温泉街の廃墟再生プロジェクト

オープンハウスグループは、「地域共創」をテーマに、不動産開発の枠を超えた地域再生・地方創生に取り組んでいます。なかでも、2021年に群馬県みなかみ町・群馬銀行・東京大学との4者で産官学金包括連携協定を締結してスタートした、温泉街の再生プロジェクトには大きな注目が集まっています。このプロジェクトでは、閉業して廃墟化してしまった大型旅館を解体・減築・リノベーションしてまちの新たな拠点にすることを目指しながら、廃墟を利活用したマルシェや納涼イベント、廃墟ツアーなどの社会実験イベントを継続的に実施。その結果、まちは少しずつ賑わいを取り戻しつつあります。これら地域共創の取り組みを牽引するプロジェクトリーダーの横瀬寛隆さんに、プロジェクトの全体像と現在地、そしてみなかみの未来を通して目指す「地域共創」について聞きました。

  • 横瀬 寛貴

    オープンハウスグループ サステナビリティ推進部 副部長。
    1987年、東京都生まれ。大手組織設計事務所、外資系不動産ディベロッパーを経て、2018年にオープンハウスグループ入社。一級建築士として大規模複合再開発の建築意匠設計、レジデンス開発やアクイジション業務などに携わった経験を生かし、群馬県を中心に展開している地域共創事業の責任者を務める。

    オープンハウスグループ サステナビリティ推進部 副部長。
    1987年、東京都生まれ。大手組織設計事務所、外資系不動産ディベロッパーを経て、2018年にオープンハウスグループ入社。一級建築士として大規模複合再開発の建築意匠設計、レジデンス開発やアクイジション業務などに携わった経験を生かし、群馬県を中心に展開している地域共創事業の責任者を務める。

産官学金4者がそれぞれの役割を果たし、まちの人々を巻き込む

ーこのプロジェクトがはじまった経緯を教えてください。

2021年の春頃、群馬銀行さんを通じて、みなかみ町さんとお話する機会をいただきました。当時は太田市でアリーナ建設(オープンハウスアリーナ太田)を進めている最中でしたが、県内の他の市町村でも取り組みを広げようとしていたんです。ヒアリングを通じて、かつて栄えていた温泉街が寂れてしまったこと、なかでも、まちの中心にある大型旅館が廃墟化し、民間所有であるためにみなかみ町として手出しができずに困っているという現状を知りました。そこで、まずは所有者さんに交渉してオープンハウスで買い取ることに。

ただ、建物ごと所有してしまうと、何千万円もの不動産取得税や固定資産税がかかってしまい、非常に大きな負担になります。また別の観点として、解体費用に企業版ふるさと納税を活用するスキームを考えており、そのためには建物の所有者(解体の主体)が行政である必要がありました。そこで、当社が買い取るのは土地の所有権と先行解体する建物だけとし、残りの建物は所有者さんからみなかみ町に寄付する形にしてもらいました。

ー今回のプロジェクトには、群馬銀行、みなかみ町、オープンハウスの3者に加えて、東京大学が参加していますね。

東京大学大学院工学系研究科の都市デザイン研究室は、さまざまな自治体に入り込んでまちづくりを行っている研究室です。助教の永野真義先生は、実は私の前職(設計事務所)時代の同僚で。当時からともに地方都市のまちづくりに携わっていたので、今回も一緒に考えてみないかと声をかけました。

永野先生を通じて東大の学生に募集をかけたところ、ものすごい人数から応募がありました。東大の学生さんには地方出身者も多く、彼らの地元も似たような課題を抱えていたんですね。

ー学生たちにとって、みなかみ町が抱えている問題は“自分ごと”だったんですね。

そうですね。そうして2021年の9月に、オープンハウスグループ(産)群馬県みなかみ町(官)・東京大学(学)・群馬銀行(金)の4者で包括連携協定を締結することになりました。東大の学生さんたちは徹底的にみなかみ町のリサーチをして、地元の人でも知らないことまで調べ上げてくれました。その後、実際にまちの人々にお話を聞いたり提案したりしながら、さらにリサーチを深めていきました。まちの人にとっても、「東京の不動産屋が温泉街に乗り込んで来た」というよりも、「東京大学の学生さんが調査に来た」のほうが受け入れやすい。その意味でも、東大に参加してもらって本当によかったと思います。

それと並行して、当社ではさまざまな事業者にヒアリングしながら、不動産事業として利益が出る仕組み作りをしていきました。群馬銀行さんは県内でプロジェクトに協力してくれそうな事業者にアプローチする、みなかみ町にはまちの人たちとの連携をしてもらう。4者それぞれの役割を果たしながらプロジェクトを進めていきました。

4者における連携イメージ

ー4者を中心に、さまざまな人・事業者が連携しながら合意形成をしていく上で、特に意識されたことはありますか?

最初にコンセプトを作り込むことです。東大と一緒にコンセプトブックを作ったことが大きかったと思っています。「こういう建物を建てて、こんな風にまちをデザインしましょう」というデザインコードをまとめ、これに共感してくれる事業者を募集する形で進めているので、みんなが共通認識を持つことができています。話し合いを進める際も、すべてこのコンセプトに基づいて判断できるから、ブレない。しかもこのコンセプトは入念なリサーチに基づいて作られているので強度があるわけです。

「減築再生」で地形を活かし、人々が回遊できるまちの拠点をつくる

ー廃墟化した旅館はどのように生まれ変わるのでしょうか?

最終的にはもともとあった旅館と近い用途に戻す、つまりはホテルと温浴施設にするつもりです。当初は建物を全部解体する予定でしたが、建築の再生に強い設計事務所さんに出会うことができ、今ある資源を有効に使う「減築再生」の手法に切り替えました。かつては飲食もお土産も娯楽も館内で完結する大型旅館でしたが、まちに開かれた施設として、ロビーやダイニングはまちの人々も利用できるようにし、宿泊客とまちの人々が入り交じる場所にする予定です。

減築はコストや環境負荷の面でメリットが大きいだけではなく、元の建物を活かすからこそ実現できる空間もあります。例えば、この旅館は一部、利根川に張り出しているのですが、こうした建物は、現在の法律では新築で建てることができない。減築であれば、利根川の間近に張り出して素晴らしい眺めを堪能できる客室を残すことができます。

ー完成までの間に、廃墟の一部でマルシェを開催しているそうですね。

完成は2027年を予定していて、それまで何もできないのはもったいないですし、数年後に新しい建物ができると言われてもなかなかイメージが湧きづらいと思うんです。そこで年に1回、「廃墟再生マルシェ(今年から「ミナカミ・ミライ・マルシェ」に改称)」と名付けたマルシェイベントを始めました。社会実験的に、数日だけでもにぎわいを取り戻したまちの姿を届けられるのではないかと。これは東大の学生さんたちのアイデアでした。

画像左:手入れ前の旧ひがき寮の中庭 画像右:地元の皆さまと学生達を中心に手入れされた中庭 
 

2022年に初開催してから、毎年規模を拡大していき、4年目の今年(2025年)は会場を10ヶ所にまで増やしています。年に1回のマルシェがあることで、毎年そこに向けてまち全体で準備を進め、人が訪れる流れもできました。

第1回「ミニ廃墟再生マルシェ」の様子。2日間で約1300名がご来場。

ー理想的な形で地域再生が進んでいる印象を受けますが、他の地域でも応用可能なのでしょうか。

もちろんどの地域にも特有の事情があるので、全て同じようにはいかないかもしれませんが、大事なのは自分たちだけでやらないこと。今回は東大の学生さんがかなり汗をかいてくれていますが、連携相手は必ずしも学生でなくてもいい。地元のまちづくり団体でもいいかもしれません。周りを巻き込んで一緒に考えていくことが不可欠だと思います。

大切なのは、まちに愛着を持ち地域と「共創」すること

ーオープンハウスグループは「地域共創」という言葉をよく使っていますが、ここにはどんな思いが込められているのでしょうか。

こういうプロジェクトは「地方創生」と呼ばれることも多いですが、「誰のための地方創生なのか?」と考えると、それは地元の人のためですよね。我々は「東京の会社」であり、良くも悪くも「よそ者」。だからこそ持ち込める視点もありますが、やはり地元の方々が納得するものでなければ意味がありません。だから我々は地域と一緒につくっていく、という意味で「地域共創」と表現しています。

行政が東京からコンサルを連れて来て立派な箱をつくったけれども、地元の人には愛されていない、というのはよくある失敗です。じゃあどうしたら本当の意味で「共創」になるのかと考えると、その地域に愛着を持った人が関わることが肝になるのかなと感じています。私も元々はみなかみ町に縁もゆかりもありませんでしたが、訪れるたびに好きになり、愛着を持っていったので、まずはその地域に足を運んでみることが大事なのではないでしょうか。

ー横瀬さんはどのようにみなかみの魅力を知っていったのでしょうか。 

私の場合、最初に大きなインパクトを受けたのは、みなかみ町の中でもっとも象徴的で、時に「魔の山」と評されることもある谷川岳でした。「世界一遭難者が多い山」としてギネスにも認定されています。そこの一ノ倉沢という断崖絶壁の難所が、ものすごく切り立っていて、あまりの美しさに「スイスみたいだ……!」と思ったんです。しかも「東京から1時間半で行けるスイス」ですよ。こんなに魅力的な場所があり、それでいて世間的にはまだそこまで知られていない。ものすごく伸びしろのある地域だと思いました。

ーこの先、みなかみ町でどんな未来を実現したいですか?

みなかみ町では、豊かな自然とバブル期の建物が干渉してしまっていました。今回のプロジェクトはそれを適正な規模にダウンサイジングすることで、質を高めるチャンスだと思っています。現に、建物を縮小したことで風通しがよくなり、まちから見えなくなっていた美しい谷川岳が見えるようになったり、聴こえなかった利根川のせせらぎが聴こえるようになったりしています。これが本来のみなかみ町の姿だったはずなんです。

適正な規模に戻し、なおかつ付加価値を高めるようなデザインを施す。まさに、まちの「再生」だと思いますが、まずはみなかみ町でそれをしっかり実現したいです。しっかりといいものを作りきり、それが経済的に回って、地元の人々にとって大事な場所になるように。そしてゆくゆくは、このモデルを全国的に横展開することが、我々が目指すべき世界だと考えています。

誰かの「かなえたい」を応援したい。

がんばる皆さんの想いに寄り添うサポート活動、
それがO-EN HOUSE PROJECTです。