オープンハウスグループがサポートする、Podcast番組『磯山さやかのラジエール〜みんなのやる気を応援したい〜』(ニッポン放送)。MC磯山さやかさんが毎回、夢に向かって頑張るZ世代ゲストを迎え、「応援」や「挑戦」にまつわるストーリーをお聞きしています。本記事では、番組内では聞ききれなかったアナザーストーリーをご紹介!第3回のゲストは、銀行員からラッパーへ転身という異色の経歴を持ち、6月に5thアルバム『Element』をリリースしたラッパー・SKRYUさんです。
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磯山 さやか
1983年茨城県生まれ。2000年グラビアアイドルとしてデビュー。現在、バラエティやラジオ、ドラマ、映画などマルチに活躍。ニッポン放送「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」、フジテレビONE「プロ野球ニュース」などのレギュラーを持つ。6年ぶり最新写真集「and more」(講談社)が好評発売中。
1983年茨城県生まれ。2000年グラビアアイドルとしてデビュー。現在、バラエティやラジオ、ドラマ、映画などマルチに活躍。ニッポン放送「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」、フジテレビONE「プロ野球ニュース」などのレギュラーを持つ。6年ぶり最新写真集「and more」(講談社)が好評発売中。
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SKRYU(スクリュー)
1996年生まれ、島根県出身のラッパー。師匠であるDisryから愛媛の大街道サイファーを受け継ぎキャリアをスタートさせ、「戦極MC BATTLE」で優勝を飾るなど数々のMCバトル大会で輝かしい成績を残す。「How Many Boogie」や「超Super Star」のヒットが続く中、2024年1月24日に5th EP『Emergence』をリリースした。
1996年生まれ、島根県出身のラッパー。師匠であるDisryから愛媛の大街道サイファーを受け継ぎキャリアをスタートさせ、「戦極MC BATTLE」で優勝を飾るなど数々のMCバトル大会で輝かしい成績を残す。「How Many Boogie」や「超Super Star」のヒットが続く中、2024年1月24日に5th EP『Emergence』をリリースした。
血が沸々と湧き上がる感覚で、ラップに夢中になった学生時代
ー収録お疲れ様でした! いかがでしたか?
磯山さん:楽しかったです! 田舎から上京してきたっていう共通点もあって、東京に住み始めた時の不安なところとか、あるあるみたいなところはやっぱり共感できましたね。
SKRYUさん:ありがとうございます。僕もこの4月からラジオ番組のパーソナリティをやっているので、こうやって前に出させてもらう立場としては、磯山さんのお話を繋げていただくスキルとか、すごく勉強になりました!
―SKRYUさんは、高校時代にラップと出会い、大学在学中にはMCバトルの大会「ULTIMATE MC BATTLE」(以下UMB)に出場するなど目覚ましい活躍をされていますが、どのようにラップにのめり込んでいったのですか?
SKRYUさん:高校時代は完全に趣味の域だったんですが、大学進学後にたまたま、ラッパーたちが順番に即興でラップをする「サイファー」に出会って。愛媛県松山市の大街道という飲み屋街の真ん中にスピーカーを置いて、ラッパーたちがフリースタイルでラップをしていたんです。バイト帰りにそこをチャリで通って遠くから見てたら、のちに師匠となるDisryというラッパーが「来いよ」って声をかけてくれて。もともとサイファーっていうものがあるらしいというのは噂で聞いていて、自分の中で沸々と血が湧いてくる感じはあったけど、大街道サイファーに顔を出すようになってから、もう完全にラップにお熱になりましたね。それを機にバトルに出るようになったり、クラブでライブするようになったり。大街道サイファーが僕のキャリアの一歩目になりました。
―その後2018年のUMBの本戦に出場しますが一回戦で敗退したことから、一旦プロの道は諦め、地元島根の銀行員として働き始めたそうですね。
SKRYUさん:はい。ラッパーから半ばドロップアウトする気持ちで銀行員になったけど、入行直後の5月くらいに、全国有数のMCバトル「戦極MC BATTLE」の本戦に繋がる大会で優勝したんです。それがきっかけで、注目されたらまたいけるんじゃないかと思うようになって、1年で銀行を辞めて千葉に引っ越しました。
―大きな決断ですね。銀行員を辞めてからは、すぐに音楽の道一本に絞ったのですか?
SKRYUさん:いや、今考えればビビてったなと思いますが、高校時代に取得した宅建士の資格を活かして事務職をしていました。やっぱり最初は収入もかなりギリギリだろうと思ったし、音楽一本にしたとしても最初はやることがない時間も多いだろうと思って。それで平日は週5で会社で働いて、週末は東京に出てライブをしていました。今考えれば、この時期は自分の中でも会社員とラッパーの間でグラデーションしていたというか、準備期間として必要な時間だったと思います。
カッコいいラッパーが山ほどいる中で、ダサさというオリジナリティを武器にする
―銀行員を辞めてから怒涛の1、2年を過ごされて、ラッパーとして軌道に乗るまでには苦労もあったんじゃないかと思います。当時のモチベーションややる気を支えてくれたことはありますか?
SKRYUさん:千葉に出て1年くらいで今のマネージャーと出会ったことですかね。「全然曲出してないじゃん。絶対出したほうがいいよ」と、僕よりも僕のことに対して熱量高く考えてくれて、自信がある感じでした。当時はお金に困っていて酒ばっかり飲んでいたので、僕にしてみれば藁にもすがる思いで一緒にやらせてもらうことにして。こんな出し殻みたいになっている人間によく再起のチャンスをくれるなって思いましたね。
―人の熱量が原動力になったんですね。磯山さんは、人の熱量に自分が引き上げられたなと思ったことはありますか?
磯山さん:実は私も、マネージャーさんに支えてもらっていました。デビュー当時はグラビアが黄金時代だったので、私としては人と比べてしまって落ち込むこともありました。周りの子たちが表紙を飾っていたり、活躍していることに焦って、自分で自分を追い込んでいましたね。でも、そんな時に私をスカウトしてくれたマネージャーさんが「人間には熟す時が来るから大丈夫。さやかはまだ青くて熟していないだけだから、熟した時に幸せになる。これから熟していこう」と言ってくれて、気持ちがすごく軽くなったのを覚えています。
SKRYUさん:良い言葉ですねえ。僕も地元にいた時はやっぱり焦りがあって。ちゃんとマイクを握ったのが20歳くらいと遅かったのですが、周りには14、5歳からラップをやってるすごい子たちがたくさんいて。僕の地元なのに県外の子がトリを飾るライブの前座をやることもあったので、すごく悔しかったです。でも、その時に生まれた嫉妬心も原動力になって、楽曲もライブも負けないようにやっていこうって思えました。
―磯山さんはグラビアからラジオ、舞台など幅広いお仕事をされていますが、それぞれのお仕事のバランスを取るためにどんな工夫をしていますか?
磯山さん:一つひとつの仕事に対して若干キャラクターを変えていますね。もちろん「磯山さやか」というベースがありつつ、ラジオはリスナーさんに合わせてこういうトーンで喋ろうとか、出演するバラエティのジャンルや空気感に合わせるだとか、それぞれの仕事の場に順応しようとしています。それが繋がって、コントの間がお芝居やラジオに活きることもあるし、相互に活きていることもたくさんあるなって思います。SKRYUさんもラッパーとしてバトルに出たり、アーティストとして楽曲制作をしたりされていますが、仕事によって何か工夫していることとかありますか?
SKRYUさん:僕はバトルでも楽曲でも基本的なスタンスは同じで、等身大の自分を組み込んでいくことを大切にしていて。本当に見てほしいのは、地元からここまで来たことや家族に対しての思い、心の内をさらけ出した部分。つまり「ダサいところがいちばんカッコいい」と思っていて、そこを見てほしいんですけど、実際はふざけた僕が全面に出ている曲が予想外にSNSで人気になることもあって。でも、そこは割り切るようにしています。仕事である以上、みんなが求めているヘラヘラしているSKRYUと、僕が見せたいSKRYU、どちらもちゃんとやる。それはすごく意識しています。
カッコいいラッパーは山ほどいるし、僕なんかよりクオリティの高い曲を書く人もいっぱいいるから、そういう人たちに勝るためには、もはや勝負もせずに違うところを見せつけて別の道に行くしかない。ダサさってオリジナリティに直結すると思うんです。等身大の自分をさらけ出すことこそ、僕の武器だなと思うようになりました。
―ハイペースで楽曲をリリースし続けていますが、嫌になったり、辞めたくなったりすることはないんですか?
SKRYUさん:僕は、好きなことを仕事にさせてもらったんだから、好きじゃなくなったからやーめたっていうのはサムいだろと思ってます。それと、もともとは完璧主義なところがあって、突き詰めた作品を出す自分が好きだったのでリリースのペースも遅かったんですけど、だんだんと僕の中に「大人のSKRYU」が生まれて(笑)。「今求められているのはいっぱい出すこと。そうじゃないと忘れられちゃうし、みんなを笑顔にできないぜ」って思うようになりました。
田舎町の銀行員だった頃書いたリリック、「やっぱラップしてて良かった」
―SKRYUさんが、これまでに勇気づけられた思い出のパンチラインがあれば教えてください。
SKRYUさん:なんだろう、助けられた曲いっぱいあるんですけど……。でも、銀行員をやっている時に、田舎町でラッパーとしての山を登ってやる、ラップ一本に絞るぞって思いで、「Mountain View」という曲を書いたんです。その曲に<満を持して1発叫ぶのさ/「俺やっぱラップしてて良かった」>って歌詞があって。山を登り切った後も「ラップしてて良かった」って心から言えている自分を想像して書いたんですけど、今そこに自分で向かっている気がしていて。勇気づけられたというより、過去の自分の言葉が未来で僕を手招いているみたいな不思議な感覚です。手前味噌ですいません(笑)。
磯山さん:素敵です。自分の言葉に責任があるなって。
―最初の頃の気持ちを忘れないのって、簡単なようで難しいですよね。お二人は、駆け出しの頃の自分に今メッセージを送るとしたらどんな言葉を送りますか?
SKRYUさん:酒は呑んでも呑まれるな、ですかね(笑)。僕は、正直にその時に起こったことしか書けないので、借金の話と酒の曲ばっかり書いてた時期がありました……。
磯山さん:それはダメですね(笑)。私が駆け出しの頃は全部一人でやろうとして戦っていたので、周りに頼ってねと伝えたいです。周囲に甘えてもっと自分の意見を言っていたら、いろんなことが変わっていただろうなと思います。今は「これをやりたい」と言うとみんなが悩みを聞いてくれて助けてくれるし、一緒に泣いてくれる。いろんな人に頼って楽しく生きてねって言いたいですね。
何も長続きしなかった自分が、環境を変えたことで「やらなきゃ!」と思えた
―最後に、好きなことや新しいことに挑戦しながらもがいている人に向けてメッセージをお願いします。
SKRYUさん:僕は自分だけじゃ変われなかったし、仕事を辞めて、上京して、環境を変えたことによって「やらなきゃ!」って思いになれました。連絡も返せないし、銀行員も長続きしないし、ライブをすっ飛ばす人間でも、ちゃんとしなきゃいけないという気持ちが芽生えたんです。環境を変えるのは怖いことかもしれませんが、恐れずに進んでほしいです。僕は「物は試し」って思いが功を奏したと思うので、やらずに拒否するよりもまずはやってみてほしいですね。
磯山さん:やってみる精神、大事ですね。私も、まずは自分のなかにある「やってみたい」という感情の芽生えに気づくこと、その感情を大切にすることを意識してみてほしいです。考えすぎずに動いてみてから判断しても遅くないと思いますよ!
誰かの「かなえたい」を応援したい。
がんばる皆さんの想いに寄り添うサポート活動、
それがO-EN HOUSE PROJECTです。
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