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バンド・リュックと添い寝ごはん|『磯山さやかのラジエール』深掘りアフタートーク!

バンド・リュックと添い寝ごはん|『磯山さやかのラジエール』深掘りアフタートーク!

オープンハウスグループがサポートする、Podcast番組『磯山さやかのラジエール〜みんなのやる気を応援したい〜』(ニッポン放送)。MC磯山さやかさんが毎回、夢に向かって頑張るZ世代ゲストを迎え、「応援」や「挑戦」にまつわるストーリーをお聞きしています。本記事では、番組内では聞ききれなかったアナザーストーリーをご紹介! 第4回のゲストは、高校の軽音楽部から一気にメジャーへの階段を駆け上ったバンド・リュックと添い寝ごはんのVo.&Gt. 松本ユウさんと Ba. 堂免英敬さんです。

  • 磯山 さやか

    1983年茨城県生まれ。2000年グラビアアイドルとしてデビュー。現在、バラエティやラジオ、ドラマ、映画などマルチに活躍。ニッポン放送「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」、フジテレビONE「プロ野球ニュース」などのレギュラーを持つ。6年ぶり最新写真集「and more」(講談社)が好評発売中。

    1983年茨城県生まれ。2000年グラビアアイドルとしてデビュー。現在、バラエティやラジオ、ドラマ、映画などマルチに活躍。ニッポン放送「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」、フジテレビONE「プロ野球ニュース」などのレギュラーを持つ。6年ぶり最新写真集「and more」(講談社)が好評発売中。

  • リュックと添い寝ごはん

    Vo.&Gt. 松本ユウ、Ba. 堂免英敬
    2017年11月10日結成。通称・リュクソ。高校在学中に「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2019」への出場と、初の全国流通盤リリースを経験、2020年12月に1stフルアルバム『neo neo』でスピードスター・レコーズからメジャーデビュー。何気ない日常を肯定する温かみのある楽曲と、力強く芯の通ったライブパフォーマンスで注目を集める新世代アーティスト。

    Vo.&Gt. 松本ユウ、Ba. 堂免英敬
    2017年11月10日結成。通称・リュクソ。高校在学中に「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2019」への出場と、初の全国流通盤リリースを経験、2020年12月に1stフルアルバム『neo neo』でスピードスター・レコーズからメジャーデビュー。何気ない日常を肯定する温かみのある楽曲と、力強く芯の通ったライブパフォーマンスで注目を集める新世代アーティスト。

大学入学直後は打ちひしがれた。広い世界を知ってバンドも個人もさらなるレベルアップへ

ー収録おつかれさまでした! とても盛り上がっていましたね。

松本さん:すごい話しやすかったです!

磯山さん:私も楽しかったですし、お2人の声や雰囲気が良くて、癒しでした。ライブ映像を見ると熱い感じだったので、ギャップがありましたけど(笑)。

堂免さん:よく言われます(笑)。僕らのライブって前は「すごい癒やされる」みたいな感想をたくさんいただいていたんです。もちろん褒め言葉でうれしいんですが、「癒やされるだけじゃ違うよね」って話になって。どうしたら観客を熱くさせられるか、メンバーみんなで試行錯誤してこの春のツアーに臨んだら、「カッコよくなってた!」という声をたくさんいただけて。それがけっこううれしかったです。

Vo.&Gt. 松本ユウ

ーリュックと添い寝ごはんさんは、高校生の時に「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2019」に出演してからこれまで順調な道のりだったと思うのですが、不安やプレッシャーはなかったんでしょうか?

松本さん:高校生の時は、とにかく音楽ができることがうれしくて自分が聴きたい曲をただただ純粋に作っていました。なので周りの声やプレッシャーはあまり感じなかったですね。あったとしても、曲に昇華していました。

堂免さん:僕は、自分たちが「売れてる」という実感があまりなかったんです。むしろ、どうしてもっと聴かれないんだろう、憧れのアーティストと比べて僕らは何が違うんだろうって必死に模索していました。知識も経験も浅くて、何かが足りないのはわかるけれど、何が足りないのかわからなくてもがいていた感覚でした。

ー収録でのお話を聞いていて、バンドメンバー全員が大学に進学されたことは、さらなるレベルアップのための挑戦だったのかなと感じましたが、実際に行ってみてどうでしたか?

松本さん:入学直後はかなり食らったというか。大学の中だけでも、自分より音楽を知っている人がたくさんいて、彼らより知らない僕がなんで音楽をやってるんだろうって。高校卒業までは軽音部の中で1番になるとか、全国大会で1番になるというところを目標に頑張ってきたんですけど、その先に出た海が大きすぎて。音楽業界も若手からレジェンドまでいるし、「こんなに広い海、泳げるかな」みたいな。でもそれが刺激になって、さらに色々な音楽を聴くようになりました。

堂免さん:僕は音楽大学に入ったので、それこそ音楽の経験も知識も圧倒的に豊富な人が周りにゴロゴロいて衝撃を受けました。天狗になっていたわけではないけど、自分もそこそこできるだろうと思って入ったのにもう全然できない方で。でも、刺激的な仲間や先生がいる環境で4年間練習できたのは、成長に繋がりましたね。

Ba. 堂免英敬

ー磯山さんも高校2年生の時にデビューされていますが、学業と仕事の両立などで不安を感じることはありましたか?

磯山さん:当時は撮影で1週間海外に行くこともあったので、授業が受けられないし試験対策もできなくて大変でしたね。茨城の普通の高校で、学校としても初めての芸能界に入る生徒だったので、先生たちも手探りだったと思います。でも、試験前に補習とかをしてくれて、学業も大切にできるようフォローしてくれたので、何とか乗り越えられました! あとは、必ず高校を卒業することが父との約束だったので頑張りましたね。

堂免さん:僕らも定期テストの直後に、大きな大会への出場権をかけた校内オーディションがあったりして、勉強してる暇がなかったです。

松本さん:放課後はライブに出ることが多かったので、授業中に歌詞を完成させて、それをモニターに貼って新曲をやるみたいなことも多かったです。なのでいつも赤点ギリギリでした(笑)。

見たい景色、作りたい景色が常に更新されていく。そんな日々が原動力になる

ー皆さん学生の頃にデビューされていますが、仕事に対するプロ意識が芽生えた瞬間はありますか?

松本さん:大学1年生の夏頃にあったミュージックビデオ撮影で、現場にいる大人の数がすごく増えていたんです。僕らまだ19歳とかなのに、スタッフの方が敬語を使って話してくださったりして。「これは仕事だ」ってはっきり自覚しましたね。

磯山さん:私は2冊目の写真集を出した時に、イベントでファンの皆さんから喜びの声をたくさんもらえて、「これを仕事としてできるんだ!」って実感したなぁ。18歳くらいの時ですね。大学進学はせず、この道で行こうって決めました。

ー元々は部活の中でバンドを組まれていましたが、プロになったことでメンバー同士の関係性が変わったところはありますか?

堂免さん:今もメンバーみんな仲良しなんですが、ただの仲良しの友達だけじゃいけない場面は出てきました。友達の意見に反対するのってすごい苦しいじゃないですか。でも思い切って意見を交わすことで、全員が自信を持って良い選択ができるようになって、ライブパフォーマンスとか普段の立ち振る舞い方とか、そういうのにも現れてきてると感じます。

ー収録の中で、堂免さんは親御さんの熱い応援がモチベーションになっているとおっしゃっていましたが、他にも自分をやる気にさせるものってありますか?

堂免さん:「達成できないままでは辞められない!」っていう目標が今たくさんあって、それがモチベーションになっていると思います。高校時代、「大会で良い結果を残したい」とか、「同世代の戦ってきたバンドの中でいちばんになりたい」とか、そういう目標がモチベーションになって音楽を続けてきました。今も同じで、見たい景色と作りたい景色が常に更新されていくんですよ。自分たちが立つステージがどんどん大きくなっていけばいいなと思うし、そのためにはもっと多くの人に聴いてもらえる曲を作らないといけないなって思います。ユウの原動力は?

松本さん:僕は、収録の中でも憧れの人として名前を出させていただいた、星野源さんの存在です。

磯山さん:大好きっておっしゃってましたね! 松本さん、星野源さんの話題になると、すごく良い顔しますよね(笑)。

松本さん:憧れの人と関わっていく将来を思い描くことが自分の中の原動力になっています。星野源さんが使っているのと同じモデルのギターも持っていて、それを使うだけで力になります。それと、僕にとって星野源さんがそうであったように、僕たちも誰かにとって心の支えのような存在になりたいと思って音楽を作り続けています。僕は、音楽を聴くことで当時の記憶や感情がよみがえってくるような、そんな経験が積み重なることで人生が豊かになると思うんです。そういうきっかけの1つとして僕らの曲があったらいいなと。

応援歌は作らない。自分が頑張っている姿を見せることが一番の応援になる

ー未来への希望を込めた『未来予想図』や、苦しい自分を鼓舞するような『Pop Quest』など、聴く人を応援するような楽曲もたくさん作られていますが、作品を通して誰かを応援したいという想いはありますか?

松本さん:僕は自分が頑張っている姿を皆さんに見せることが、一番の応援になると思っているんです。だから誰かを応援したい気持ちはすごくあるけれど、応援歌を作っている感覚はなくて。「頑張れ」とか直接歌詞に書いてしまうと、「自分が頑張れよ」という気持ちになっちゃうので、あえて入れないようにしています。パフォーマンスや行動で示すことで「松本が頑張っているから、自分も頑張ろう」と思ってもらえるような存在になりたいです。

堂免さん:僕自身もユウが曲作りなどを頑張っている姿を見ていると、「負けないぞ!」って気持ちでバンドに還元できるようなことを学んでみたり、アイデアを探したりしています。”松本ユウ”という存在は多くの人の力になっているんじゃないかなと思います。

磯山さん:一番近くにいるメンバーの応援にもなっているなんて。良い関係ですね。

堂免さん:照れくさいですね。お世話になっております(笑)。

松本さん:こちらこそ。

いつだって今が一番尊くて美しい。世代を越えて伝わるリュックと添い寝ごはんの想い

ーリュックと添い寝ごはんさんが、音楽を通して世の中に一番伝えたいのはどんなことですか?

松本さん:その時々で変わるんですが、一貫しているのは「今が一番尊い」ということ。今がとにかく尊くて美しいものだからこそ、それを守っていくことが大事なんだと伝えたいです。あとは自分が音楽からたくさん感動をもらってきたので、それを色んな人に共有したいという想いも大きいです。

磯山さん:リュックと添い寝ごはんさんの音楽は本当に、世代を超えて青春を感じさせてくれるんですよ。この記事は私のファンの方々も見てくれていると思うんですけど、世代が違う人ほど曲を聴いてみて欲しい! 文化祭の楽しさとか、部活動の苦しさとか、恋愛の甘酸っぱさとか、あの頃の映像や感情がよみがえってくるので。

松本・堂免:うれしい。ありがとうございます!

ー最後に、今まさに壁を越えようと頑張っている読者にメッセージをお願いします。

松本さん:壁にぶつかるときって、自分を見失う時かなと僕は思っていて。そんな時でも自分が一番美しいと思うものを、常に愛し続けることは忘れないで欲しいです。もし自分が愛するものが何かから嫌われたりしても、それでも良いから、とにかく愛していて欲しいなって思います。

堂免さん:僕は壁を越えた先に待っているであろうことを、なるべくポジティブに想像するんです。「この壁を越えたら僕たち爆売れするんじゃないか?」とか想像して、ニヤニヤしながら困難に挑戦すると楽しく思えてきますよ!

誰かの「かなえたい」を応援したい。

がんばる皆さんの想いに寄り添うサポート活動、
それがO-EN HOUSE PROJECTです。