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「神宮球場で夢を叶えたい」。難病の少年&ダンサー志望の女性の挑戦ストーリー

「神宮球場で夢を叶えたい」。難病の少年&ダンサー志望の女性の挑戦ストーリー

オープンハウスグループが東京ヤクルトスワローズを応援する「応燕プロジェクト」の第1弾として立ち上がった「神宮球場で叶える夢 応援キャンペーン」。今も追い続けている夢や、挫折して一度あきらめた夢など、叶えたい・叶えたかった皆さんの「夢」を応援する企画です。今回は、数多くの応募者から選ばれた2人の「夢への挑戦」に密着。強い意志を持って行動し続けた、彼らの挑戦ストーリーをお伝えします。

  • 吉次 楽

    指定難病の「歌舞伎症候群」を抱え、特別支援学級に通う小学2年生。野球が大好きで、中でも地元のプロ野球球団「東京ヤクルトスワローズ」のファン。病気の影響で筋力が弱く、これまではゴムボールやプラスチックボールしか投げたことがなかったが、本プロジェクトを機により重いボールを投げることにチャレンジする。

    指定難病の「歌舞伎症候群」を抱え、特別支援学級に通う小学2年生。野球が大好きで、中でも地元のプロ野球球団「東京ヤクルトスワローズ」のファン。病気の影響で筋力が弱く、これまではゴムボールやプラスチックボールしか投げたことがなかったが、本プロジェクトを機により重いボールを投げることにチャレンジする。

  • 中川 友梨香

    高校生のとき、自らが立ち上げたダンス部で本格的にダンスをスタート。大学卒業後、プロダンサーになる夢をコロナ禍であきらめかけるも、「高校時代の仲間と再び踊りたい」という思いから本プロジェクトに応募し、練習の過程で夢への情熱が再燃。現在は、球団チアやテーマパークダンサーを目指している。

    高校生のとき、自らが立ち上げたダンス部で本格的にダンスをスタート。大学卒業後、プロダンサーになる夢をコロナ禍であきらめかけるも、「高校時代の仲間と再び踊りたい」という思いから本プロジェクトに応募し、練習の過程で夢への情熱が再燃。現在は、球団チアやテーマパークダンサーを目指している。

一人では困難でも、一度あきらめたことがあっても。神宮球場で叶えたい「夢」への挑戦

「神宮球場で叶える夢 応援キャンペーン」は、オープンハウスグループの「挑戦する人を“応援”する」という企業姿勢を体現した「O-EN HOUSE PROJECT(応援ハウス プロジェクト)」の第1弾プロジェクトです。今回着目したのは、挑戦の原動力である「夢」。こんなことがしたい、こんな風になりたいといった夢を抱き、それを叶えるために努力した経験がある方は多いのではないでしょうか? 夢は実現するかどうかにかかわらず人に力を与えてくれるものですが、一番の活力になるのはやはり叶ったときの感動です。

オープンハウスグループのサポートによって叶えられる夢があるのなら、力になりたいという想いから本プロジェクトが発足。オープンハウスグループがトップスポンサーを務める東京ヤクルトスワローズのホームグラウンド・神宮球場を舞台に、夢を叶えるチャンスを提供するキャンペーンを実施しました。

「神宮球場で叶えたい夢」を募集したところ、全国からたくさんの夢が寄せられました。厳正な選考のもと、夢にチャレンジすることになったのは、指定難病を抱える小学2年生の男の子・吉次楽(がく)くんと、働きながらプロダンサーを目指す中川友梨香さんの2名。

2024年7月19日、東京・外苑前の神宮球場で行われた東京ヤクルトスワローズ対横浜DeNAベイスターズの試合で、2人が夢を叶えるまでのそれぞれの軌跡をたどります。

7/19に実施された応燕ハウスナイター当日の様子
28,360人が来場し、大盛況となった神宮球場

大好きな野球があるから頑張れる。指定難病の男の子が挑んだ始球式

楽くんの夢は「神宮球場での始球式」。父の聖志(きよし)さんは、プロジェクトに応募した理由について次のように話します。

「楽は野球が好きで、特にヤクルトの大ファンです。憧れの神宮球場で始球式ができたら、本人にとってもかけがえのない思い出になりますし、楽の姿を通して、障がいのあるなしにかかわらず、人がチャレンジする素晴らしさを伝えられたらと思っています」

楽くんが歌舞伎症候群と診断されたのは4歳の時。同年代の子に比べて言葉や運動の発達が遅く、遺伝子検査をした結果、病名が分かりました。遺伝子疾患の歌舞伎症候群は、遺伝子検査をしない限り確定診断が難しい病気。そのため子どもの発達が遅いと感じながらも、歌舞伎症候群と分からず悩んでいるご家庭も多いと考えられます。楽くんの挑戦の背景には「あまり知られていないこの疾患のことを広く知ってもらいたい」というご両親の思いもありました。

楽くんのお父さま・吉次 聖志(きよし)さん

歌舞伎症候群の症状は、低身長や難聴、視覚障がいなど人によってさまざま。母・真理子さんによると、楽くんの場合は筋力の弱さが顕著だったそうです。

「楽はもともと筋力が弱かったのですが、野球を好きになってキャッチボールやバットを振るようになってから体幹が鍛えられてきました。選手名鑑のおかげで文字や数字が読めるようになりましたし、野球を通じてできるようになったことがたくさんあります」

今まで、キャッチボールをするときは、プラスチックボールやゴムボールを使っていたという楽くん。始球式では、野球ボールにより近い「ゆうボール」で投球に挑戦することになりました。全く使ったことのないボールでの投球、さらにこれまでに経験したことのない大観衆の前に立つため、「本番はどうなるか」とご両親は少し不安そうでしたが、本番の3週間ほど前には、ヤクルトの元選手でベースボールアカデミーの度会博文ヘッドコーチから投球を教わる事前練習の機会も設けられるなど、着々と準備を進めていきました。

そして迎えた始球式。2万人以上の大観衆の視線を一気に浴びながら、楽くんは大好きな村上選手の背番号「55」が入ったユニホームでマウンドに登場。小さな体から力いっぱい投げられたボールは、ノーバウンドとはいきませんでしたが、捕手役を務めた中村悠平選手のミットへ。コントロール良く、勢いもあるボールに、観客席からは「おぉっ」と歓声が起こりました。

力強くボールを投げる楽くん

楽くんの挑戦を見届けた真理子さんの目には涙が。「あれだけの大観衆の中で堂々と投げられたのは、練習の成果かな。自信を持って挑戦し続ける、一つのきっかけになればいいなと思います」と話しました。聖志さんも「皆さんにたくさん応援していただいたおかげ。私たち家族にとって今回の「オーエン」は「応縁」でもありました。いただいた縁をつなげていけるよう、挑戦を続けていきたいと思います」とほほえみました。

始球式を無事終え、「楽しかった!」と笑顔いっぱいで話す楽くん。小さな手には、村上選手にもらったサインボールが握られていました。

「仲間と一緒に踊りたい」。一つの挑戦が再び夢へと向かう勇気をくれた

もう一人の挑戦者・中川さんの夢は、「高校時代のダンス部のメンバーと一緒に神宮球場で踊ること」。中川さんにとって、高校のダンス部は思い出の場所であり、“夢の始発点”でもあります。

「通っていた高校には、もともとダンス部がありませんでしたが、有志のメンバーが集まり、部としての土台を一から作っていきました。吹奏楽部とタッグを組み、野球部の応援をしたこともいい思い出です」

高校卒業後は、地元・浦安の大学に進学。有名なテーマパークが近くにあり、パフォーマンスを見る機会が多かったことから、いつしか「自分もテーマパークダンサーになりたい」という夢を描くようになりました。

「大学を卒業したら、テーマパークダンサーのオーディションを受けようと決めていました。ところが、目標としていた年にコロナが流行し、オーディション自体が中止になってしまったんです。再開のめどが立たない中、夢に向かう気持ちは少しずつしぼんでいきました」

夢を捨てきれずにいた日々を振り返る中川さん

レッスンスタジオに通い自らの練習もしながら、子どもたちにダンスを教えたり、アイドルグループのダミーダンサーを務めたりするなど、踊り続けていたものの「このままでいいのだろうか……」と気持ちがふさぐ日々。そんな中、新しく心の支えになったのが野球観戦でした。

「2023年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)をきっかけに、野球に興味を持つようになりました。関東のいろんな球場で何度か観戦しましたが、一番好きな球場が神宮球場。次第にヤクルトのファンになっていきましたね」

また、中川さんの目には、試合だけでなく、場内を盛り上げる球団チアのパフォーマンスも魅力的に映りました。

「ダンサーのみなさんが、オープニングやラッキーセブンでパフォーマンスする様子がとても楽しそうで。ダンサーとしてこういう道もあるのか、と選択肢が広がったように感じたんです」

そんな矢先、ヤクルトの公式サイトで今回のプロジェクトを発見。久しぶりに高校のダンス部のメンバーと仲間内で踊った直後だったこともあり、「あのメンバーでまた一緒に踊りたい」と思い切ってキャンペーンに応募しました。しばらくすると、ヤクルトの公式ダンスパフォーマンスチームである「Passion」とのコラボが決まったという当選連絡が届きました。

ダンス部のメンバーの中には、高校卒業以来9年ぶりに踊る人も。大舞台でのPassionとのコラボに向けてスタジオを借り、メンバーに振付を教えるなどチームを引っ張る中で、中川さんはあることに気がついたそうです。

「高校時代に比べて、ダンスの細かい部分まで神経を配れるようになり、人への教え方もうまくなっているような気がしました。夢をあきらめ停滞していたように感じていたけれど、子どもにダンスを教えたり、プライベートレッスンに通ったり、ダンスに真剣に向き合ってきた時間の分だけ、成長していることに気が付いたんです。好きなダンスをここまで続けてきた自分を信じて、もう一度、夢を追いかけてもいいのではないかと思うようになりました」

プロのオーディションに受かるためには、高いレベルが求められます。再び夢を追いかけるにあたり、中川さんはバレエのレッスンを開始。「基礎を固めて、自分の武器にするためにもバレエを習うことにしました」と語る表情からは、夢へ向かう本気度の高さが伝わってきました。

Passionとの合同練習も終わり、本番間近の中川さんに心境を聞いてみると、「緊張よりワクワクが勝っています」とにっこり。迎えた本番、ダンス部のメンバー5人、そしてPassionとともにグラウンドに一列に並んだ中川さんは、大観衆の前でも臆することなく、満面の笑みでヤクルトの応援ソング『We Are The Swallows』を披露しました。

ダンサーとして初めて立ったグラウンドからはスタンドが一望でき、万雷の拍手と声援を受けて「今、ここで夢が叶っている」と実感がこみあげたそうです。ダンスレッスンで子どもと接することも多い中川さん。「自分が挑戦する姿を通じて、大人になっても夢は叶うということを伝えていきたい。そしてプロになって、ずっと応援してくれている家族や友達に喜んでもらいたいです」と、応援を励みに今後も夢に向かって前向きに挑戦していく決意をにじませました。

ヤクルトの応援ソング『We Are The Swallows』を披露する中川さん
中川さんと5人の仲間で「Passion」と一緒にパフォーマンス

強い意志と行動力を持って挑戦し続けることが、夢を現実にする

「神宮球場で叶える夢プロジェクト」が一つのきっかけとなり、夢を叶えた2人。今回の挑戦を糧に、また次の夢へと走り出しました。

挑戦に終わりがないように、応援にも終わりはありません。挑戦する人がいる限り、オープンハウスグループも応援を続けていきます。強い意志と行動力を持って挑戦し続けることで、夢は現実のものとなるはず。オープンハウスグループが次に応援するのは、あなたの夢かもしれません。

【2人の挑戦ストーリーをWEBムービーで配信中】

楽くんと中川さんによる、今回の挑戦の軌跡をまとめた動画を配信しています。神宮球場を沸かせた楽くんの始球式や中川さんのダンスパフォーマンスはもちろん、本番を迎えるまでの練習の様子、大舞台を終えた後の表情も見ることができます。ぜひご覧ください。

吉次 楽くんWEB MOVIE「始球式」篇

中川 友梨香さんWEB MOVIE「チアダンス」篇

誰かの「かなえたい」を応援したい。

がんばる皆さんの想いに寄り添うサポート活動、
それがO-EN HOUSE PROJECTです。